2017.10.31公開記事
映画「ミッドウェー」は米公開1976年6月(日本公開は7月)のユニバーサルの大作映画。日米両海軍の空母機動艦隊同士が激突決戦した太平洋戦争史上有名なミッドウェー海戦を描いている。この海戦で日本側は虎の子の空母4隻と重巡1隻、そして航空機284機を失っている。それに対して米側は空母1隻、駆逐艦1隻、航空機150機の損失。米側の大勝利となった。米側の戦闘評価はこの海戦後米軍が戦略的優位に立ち、その主な勝因は暗号解読の成功だと見ているようだ。
筆者より詳しい専門知識のある方からは、そんな単純なものではないとお叱りを受けるかも知れない。様々な憶測がある「運命の5分間」、航空機決戦に転換せず艦隊決戦を重視した空母運用の失敗、米太平洋機動艦隊の戦力を過小評価した作戦計画、情報戦の軽視など様々な敗因があったと思う。
しかし当ブログの主題は「ミッドウェー海戦の勝敗の真実」ではなく「寡黙なタクシードライバーの謎」。そこに繋ぐためにここでは米海軍情報局(ONI Office of Naval Intelligence)の視点で話を進める。無理な舞台回しですがよければお付き合いを。
- 真珠湾奇襲情報を隠蔽・利用したキング提督?ヒストリーチャンネル「アメリカ海軍情報部」から
ONIは米軍情報部隊の中で最も長い歴史がある。母体は1882年創設のONIだ。常時海軍関連の情報収集の任務を担当していた。無線が発達導入されるにつれ無線傍受、暗号解読にも注目した。また複葉機が導入されると飛行機による情報収集方法も模索し始めた。第一次世界大戦時、中南米などに敵国ドイツのスパイ監視に工作員を送りこんだりした。その活躍により組織規模は300名に膨らみ戦後も対抗勢力の監視を続けた。
そして満州や中国に侵略を拡大し始めた日本。ONIは脅威対象として日本の海軍状況に注目し始めた。1924年、日本海軍のRED暗号を解読するためローレンス・サフォード大尉が指揮する調査部が発足した。1926年にはその任務をジョセフ・ロシュフォードが引き継いだ。そしてRED、BLUE、PURPLE暗号を解読していった。満州事変、日中戦争と戦火が拡大していったが、米はそのような日本の動向は把握していた。
戦争突入が避けられない緊張状況が続く中、1941年初頭、在日アメリカ大使ジョセフ・グルーがある噂「日本が真珠湾への奇襲攻撃を画策中」と本国へ報告した。ONIはそのことを大西洋艦隊司令長官アーネスト・キング大将に報告したが、キングは無視した。
ONIとFBIは真珠湾と米西海岸で日本人スパイの動向を監視していた。ONIはサンフランシスコの717番街のビルの最上階に無線傍受の監視本部を設置した。当本部をエイスワース・フォスマー大尉が指揮した。フォスマー大尉は電気工学の知識がある航海士ロバート・ダンフォース・オッグを盗聴工作員として採用し、日本人スパイが会議で使うチャイナタウンのホテルにマイクを仕掛けさせてすべての情報を盗聴録音させていた。だが米太平洋艦隊司令長官ハズバンド・キンメル大将(米艦隊司令長官も兼務)には切迫する危機を知らされていなかった。真珠湾防衛の責任者、ウォルター・ショート陸軍中将も同様に蚊帳の外に置かれていた。二人は真珠湾攻撃を阻止できなかった責任を問われ解任された。上級情報部の失態のスケープゴートにされたという。
このため大西洋艦隊司令長官キング大将が米艦隊司令長官も引き継ぎ、太平洋艦隊司令長官はニミッツ少将が大将に昇格して引き継いだ。
キング大将はその後、上級の海軍作戦部長の職も兼務することになり元帥にまで昇進している。非常に強引で自説を通す性格であまり人から好かれる人物ではなかったようだ。
これは推測だが、キングは中将を経ず自分を飛び越して上官である艦隊司令長官に就任したキンメルをよく思わず追い落とす機会を狙っていたのではないか。
フォスマー大尉とオッグは日本の連合艦隊が刻々とハワイへ向かっていることを傍受していた。その解析結果を上官である第12海軍管区の責任者リチャード・マッカラ大佐に報告した。マッカラ大佐はルーズベルト大統領とも親しい関係であることも知っていたので、二人は危険な兆候もホワイトハウスにも届いていたと思っていた。ところがその報告は海軍情報部のどこかのラインで消失し大統領には伝わっていなかった。
1941年12月6日(真珠湾攻撃の数時間前)、オッグは日本の連合艦隊がハワイの北800km付近にいることを掴んだ。興奮したオッグはフォスマー大尉の家に駆け込んで伝えた。「これは絶対なにかが起こるぞ!」
真珠湾奇襲で米側は戦艦8隻、航空機300機の損害を出したが、空母は湾内にいなかったので無事だった。
直後に日本海軍の暗号JN-25は真珠湾攻撃時は解読不能だった、という欺瞞隠蔽工作を米海軍は行った。日本を欺くために。
日本海軍の動向監視を任務とする太平洋無線傍受局HYPOは真珠湾に拠点を置いていた。そしてJN-25を解読できたため日本軍の作戦は筒抜けとなった。米海運はポートモレスビー、ニューギニア、珊瑚海での日本軍の動向を事前察知していた。
山本五十六連合艦隊司令長官は米・太平洋艦隊空母群のせん滅を目的とするMI作戦を計画し、極秘裏に着々と進めた。
HYPOも日本海軍のただならぬ動きを察知していたが、日本海軍の無線防護が固く「AF」が何を意味するのか掴みあぐねていた。
(ヒストリーCH「アメリカ海軍情報部」)

このHYPOを指揮していたのが上記のジョセフ・ロシュフォード中佐である。
(ヒストリーCH「アメリカ海軍情報部」)

映画では俳優ハル・ホルブルックが演じていた。特徴のある顔立ちで映画ダーティー・ハリーや大統領の陰謀での演技が印象に残っている。映画ミッドウェーに出演していた大スターの多くがもう鬼籍(死者の戸籍)に入ってしまっている。ただこの名バイプレーヤーだけは長寿を全うし、2021年1月23日、95歳の生涯を終えた。そして主役的な役の航空参謀長ガース大佐を演じていたのがチャールトン・ヘストン。このガース大佐がHIPOを訪れてロシュフォード中佐と面会する場面で、その前を横切るのが寡黙な「タクシードライバー」ロバート・デ・ニーロだ。

日本軍の電文に出てくる攻撃目標を意味する「AF」が何を指すのか?ロシュフォード中佐はミッドウェーであると確信していたが、キング米艦隊司令長官は、日本軍は米西海岸を攻撃目標にしていると思い込んでいて取り合わない。そこでロシュフォード中佐がミッドウェーの駐留部隊から「真水が不足している」という偽電文を打電するよう要請した。するとこの罠が見事に的中、オーストラリアの無線傍受群が日本軍の暗号を傍受、「AFの真水が不足」と解読し、「AF」がミッドウェーであることを探り当てたのだ。この快挙に沸き立ち乾杯するスタッフの中にもロバート・デ・ニーロがいた。

他にもニミッツ太平洋艦隊司令長官を演ずるヘンリー・フォンダとロバート・ワグナー演じるブレイク少佐が作戦本部で図上盤を前に作戦を話し合っている後ろを、資料もって行き来するロバート・デ・ニーロがいた。

セリフは一切なし。しかし明らかにワンカット・エキストラでもない。エンド・クレジットにもロバート・デニーロの名前はなかった(筆者の見逃しでなければ)。
何が謎なのか?
映画「ミッドウェー」は1976年6月米公開。デ・ニーロは前年1975年2月に映画「ゴッドファーザーPARTⅡ」で若き日のドン・ヴィトー・コルレオーネを演じてアカデミー賞助演男優賞を受賞しているのだ。しかも映画「タクシードライバー」は1976年2月米公開で、第29回カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞を受賞している。既に目立つ存在であったであろうデ・ニーロがなぜセリフもクレジットもないのか?
考えられる仮説として、「ミッドウェー」の撮影がデ・ニーロのアカデミー賞助演男優賞の受賞前に撮影されていて、無名の俳優だが何か光るものがあるということで、セリフなしだがバックシーンに入れてみようと監督らが試したのかも知れない。オーディションで演技力を認められたが、「ミッドウェー」では大スターばかりなので、さすがにセリフは与えられないが、海軍情報部の1スタッフ役で出演させたとなったのか。
「ロバート、君は資料を持ってフォンダさんの後ろで行ったり来たりして情報部が活動している雰囲気を出してくれ。そう!いいね、そんな感じだ」といった風景があったのかも知れない。
映画「ミッドウェー」の背景にあった史実や戦史を知って見直すとより面白さが増す。ダンディーで二枚目のヘンリー・フォンダが演じたニミッツ大将、愛嬌のあるたれ目のロバート・ミッチャムが演じたハルゼー中将、そして渋いおじさんのグレン・フォード演じるスプルーアンス少将。
筆者の目にはこの三人は政治的野心がなく誠実に軍務を遂行する人物に映る。特にハルゼーは勇猛果敢なブルの愛称があるが、率直な人柄のようだ。真珠湾攻撃を阻止できずスケープゴートにされた同期のキンメル大将を擁護したり、有能なスプルーアンスの能力を見抜いたり公平実直な感じがする。反面、キング提督は軍事的判断力に疑問符が付くし、言動からも政治的野心が旺盛で策謀家のイメージがプンプン臭う。嫌なタイプだ。筆者はスプル-アンスが好みだ。なぜかというと名前が変わっていて語感がいい。彼の伝記を読んだことがあるが手堅く卒なく物事を片付けていく軍人らしさが気に入った。だからといって冷たい能吏的な人物ではない。苦労人であり味のある人情家だ。例えれば誰か?うーん、そう、ムダ口を叩かず前へ前へと進むNCISのギブスだ。