京都でいい宿、発見。マグニフィセント・ファイブの旅

2017.10.8公開記事

  • 徹夜麻雀OKでリーズナブル。即決予約

気のおけない友人5人で初秋(2017年)の京都で1泊することになった。高校3年生の時の同じクラスの仲間同士。社会人になって久しくお互い相当くたびれてきたが、年に数回地元で会って麻雀や宴会を重ねてきた。今回初めて京都で泊りがけでやろうかということになり宿探しをした。

必須条件はもちろん徹夜麻雀ができる宿。ところがこの条件を満たす宿がなかなか見つからない。夜遅くまではダメとか、出入りの都度料金が要るとか、時間制料金です、とか。潤沢なフトコロ事情であれば金で解決できるがお互いビル・ゲイツほど出世したものは皆無。

NETで次々と検索し電話した。
「京町屋聖護院か。電話してみよう」
「夜遅くまで麻雀がしたいのですが」
「1棟貸しですので徹夜麻雀も出来ますよ」
「5人ですが、1人いくらですか?」
「1棟貸しですので、5人様なら平日チェックインで3万8千円です。食事は付きませんが」

3万8千円÷5人=7600円か。いいね。当初の宿泊予定日はムリということで、前後の予約可能日と事前に聞いていた友人らの次点希望日がマッチングする宿泊予定日を即決で予約。友人らにメールで連絡し了解したとの受信。あとは旅に出発するだけ。

  • マグニフィセント・ファイブが京都へ降臨。錦市場から昼床へ

良い日旅立ちの時が来た。大勢で混み合うJR京都駅で友人たちと合流。全員バックパック姿のオッサン軍団が出来上がり。初秋の金曜日、浴衣姿の若い女性がやたら目立つ。すれ違いざま耳に入ってきたのは中国語。中国から京都観光にやってきた女性たちだった。中には可愛らしい花柄の浴衣を着た金髪の女性も見かけた。こちらは英語だ。

先に昼飯にしようと意見が一致。9月に入ると鴨川沿いの川床でランチ(昼床という。5月もあり)ができるというので四条河原町を目指すことにした。お互い久しぶりのため様変わりした京都は土地勘が働かない。まずズドンと地下鉄で四条まで行くことにした。ランドマークの京都タワーを見上げながら地下へ潜る。

(JR京都駅北側から京都タワーを望む グーグル・アースから)

 

 

 

地下鉄「四条」駅で下車、地上に出て四条烏丸から四条通を東進。大丸京都店辺りで「そうだ!錦市場を通ろう!」誰かが言い出した。「大晦日によく出てくるあの市場か。よし行こう」適当なオッサン軍団。

大丸京都店の1階フロアを突き抜けようとするとフレグランスの甘い香りが漂う。有名化粧品メーカーの店舗がズラリと並ぶコーナー。若くきれいな販売員さんが微笑んでくれる。買うつもりはないので何か得した気分だ。
「おい、イノダコーヒーがあるぞ。飲んでいくか」1階フロアの東端に店舗を見つけて誰かが呟いた。
「バカめ。せっかく京都に来たのだ。本店で飲もう。昼飯の後にな。コーヒーは食後に決まっている。それと<イノダコーヒー>じゃなく<イノダコーヒ>だ」ありがとうよ、豊富な知識で教えてくれて。エラそうに。

京都大丸の北口を出るとそこは東西に走る狭い錦小路通だ。再び東進開始。すぐに錦市場の入口に到達。大きな若冲の垂れ幕が架かっている。若冲の生家らしい。

(錦市場の入り口。若冲の絵の垂れ幕がお迎え グーグル・アースから)

 

 

 

 

 

狭い市場の中を通る。TVで見かけたような漬物屋、寿司屋、天ぷら屋、お土産屋、果物屋、うどん屋、等々。大変な賑わいだ。ここでも浴衣姿の外国人男女が行きかう。短パンツ姿の外国人親子も多い。市場で買ったらしいシュリンプ串をかじったり、天ぷら串を食べたり、アイスクリームをベビーカーの子供になめさせたりしている。これほど華やかで明るく繁盛している市場を見るのは何十年ぶりだろう。我が地元の市場は往年の賑わいは既にない。買い物はスーパーがほとんどで、わずかに残っている市場も櫛抜け状態で店もパラパラ、侘しさが漂っている。

錦市場を出ると錦天満宮にぶつかる。路地裏的な雰囲気がある裏寺町通を通ると行列待ちをしている店がある。ステーキ屋らしい。ほかにも小さな店舗がひしめき合っている。四条河原町に出た。すごい人、人、人。雑踏を泳ぎながらオッサン軍団は果敢に四条大橋を目指し東進する。

四条大橋の手前、左側に小さな交番と鰻屋を発見。有名な鰻丼の店、「先斗町いずもや」だ。ここから北に向かうと細い道路の両側に店が並んでいる。北に向かい右手が鴨川沿いの昼床店が並ぶ。左手の店は川床がないので料金が若干安めな感じ。昼床店を物色しながら先斗町公園まで行く。「これで終わりか。戻ってどこかに入ろう。腹減った」そうしようということになった。本当は先斗町公園の先にも、「いずもや」の南にも昼床店はあるのだが、適当なオッサンばかりなので、空腹の命令に従うことになった。

外からお座敷と昼床が見えて着物姿が京都らしい佇まいの仲居さんに頼んでみると、予約がなくてもOKということで「大當両」に入ることにした。

(ゆば料理店の「大當両」 グーグル・アースから)

 

 

 

 

入店客は我々マグニフィセント・ファイブと他に2人の男女客だけ。靴、サンダルを脱ぐ。座敷を通り、見晴らしのいい川床に通された。天井はよしずで日除けになっている。南北と東側は解放されていてよしずはない。秋晴れの晴天下、鴨川が南北にゆったりと流れているのが一望できる。目の前の川中にダイサギ1羽がポツンと白いバレリーナのように立っている。その横を鴨5羽が川面を滑るように行き来している。南縁席に座った筆者と「イノダコーヒ」は席選びを間違えた。よしずのない南側から南中に近い太陽が容赦なくじりじりと陽を浴びせてくる。幸いに初秋にしては残暑も厳しくなく涼しい気温で、川面から吹く風もあり何とか我慢ができた。生誕初の川床デビューである。
贅沢のできないファイブたち、お手頃な「ゆば膳」とビール3本で川床料理を堪能。特にわさび醤油につけて食べる「ゆば造り」は素晴らしい。

  • イノダコーヒから御池大橋へ

昼食を終え「イノダコーヒ」本店に向かう。大當両を出て北に上がり先斗町公園を抜けていくと三条通に出る。今度は三条通を西に進む。三条河原町の交差点を渡り、賑わう繁華街を進む。かに道楽の大きな看板カニに出会う。「昼食もう終わったの。カニんな」くだらんオヤジ・ギャグかまして一人で受け笑いしているのがいる。恥ずかしい。
歩道と車道の区別のないそれほど広くはない道路になる。それでも人や車が頻繁に行きかう。
イノダコーヒ三条支店に到着。オッサンたちの目標は本店だ。すぐに左折すると本店に到着。

(イノダコーヒ本店 すぐ近くの三条店のモダンな造りと対照的 グーグル・アースから)

 

 

 

 

外観は京町屋風だが中は改装されていてオシャレな造り。黄色と赤紫色をベースにした落ち着いた店内。店内の奥は2階の天井まで吹き抜けになっている。細長い裏庭があり店内と大きなガラスで仕切られていて開放的な展望になっている。裏庭の隅にガラス張りの喫煙室がある。
全員、噂の「アラビアの真珠」を注文。コクのあるコーヒを味わう。
「ちょっと吸ってくる」裏庭に通じるドアを抜け喫煙室に入っていく。通称<スモーカー>。
「あいつ、さっき吸ったばかりだろう」
「重症だな」

<コーヒ>を飲み終えて足の疲れもとれたので宿に向かうことにした。まだ14時にもなっていない。チェックインの15時30分には早すぎるが、ここから宿まで結構な距離だしブラブラ歩きながら、徹夜麻雀用のアルコールやつまみを買い込んで寄り道をすれば適当な時間になるだろう。そういうことで出発した。

また三条通を東へ戻ることになった。かに道楽のところで「同じ道は面白くない。こっちへ行こう」<スモーカー>が言い、「いいんじゃないの」ということで全員が左折し寺町通のアーケードを北進。あっち行ったりこっち行ったり、まるで意思を持たないブラウン運動のオッサン分子だ。広い御池通に出る手前で「おい、本能寺があるぞ」「本当だ」少し立ち止まる。
「ここは実際にあった場所ではないそうだぞ」と<コーヒ>がウンチクを披露。
「へえー、じゃどこに?」
「知らん」

後で調べたら、元の本能寺はここから西南西、直線距離で約1.3kmの辺り。二条城の南南東の蛸薬師通と小川通と油小路通に囲まれた辺り。現在は特別養護老人ホームが建っている。
最近、明智光秀の手紙が発見されたことで本能寺の変に新たな解釈が加わった。これまでは信長からのパワハラに対する怨恨説、信長に代わって天下取りに踏み出した野望説が主力だった。今回の発見で足利義昭と謀った室町幕府再興説が浮上。歴史は奥深い。

さて歴史に疎いオッサンたちは話題を深堀するでもなく本能寺を離れ、広い御池通に出て右折する。陽ざしを避けるため御池通の南側を再び東進開始。京都市役所、京都ホテルオークラを左側にみながら歩く。右側には京都ロイヤルホテルがあり、大きなホテルがやたら目につく。ほかにもホテルがあり京都のオフィス中心街かな?。

御池大橋を渡る手前で立て札を発見。「おい、夏目漱石の句碑と書いてあるぞ」。その横に小岩があり漱石の句が彫ってある。

(ぽつねんと立つ夏目漱石の句碑札と石碑 グーグル・アースから)

 

 

 

 

 

 

感慨深げに句碑を眺めるマグニフィセント・ファイブ。
「漱石かあ」
「猫だな」
わが肺はニコチンだらけである」
「お前、禁煙しろよ。吸い過ぎだぞ」

おバカな5人のオッサンたちはゲラゲラ笑いながら御池大橋を渡る。女高校生たちがバカ笑いしている我々を横目でみてキャッキャッ、クスクスと可愛い嬌声を発しながらすれ違う。

  • 1棟貸し「京町屋聖護院」へ到着

橋を渡ってすぐ左折しそのまま広い川端通を北上すればよかったのだが、真っ直ぐ真っ直ぐ東進すれば平安神宮か岡崎公園にブチ当たるだろうという<スモーカー>の適当な言葉に従って二条通を東進することになった。
<スモーカー>が持っている携帯の地図を頼りにしての指示だ。
全員が歩き疲れて二条東大路のあたりからブツブツ言い始めた。
「もうこの辺りじゃないのか?」
「ここはどこだ?」
目印にしていた平安神宮も京大医学部附属病院も見つからない。「もうちょっと北かな」

二条東大路を左折して北上する。川端警察署を過ぎると橋が見えた。
「おい、こんなところに川が流れているぞ」
「川じゃないだろう。疎水じゃないか」
そう、この疎水の川端を少し西進すれば関電の夷川発電所があるのだが、歴史のことも京のこともあまり知らない、おまけに元気もないオッサンたちにはただの小川だ。
橋を通過して左側に京都銀行の支店を発見。「おい、聖護院支店とあるぞ」「やったね。この辺りだろう」
だが目印の平安神宮も京大医学部附属病院も見当たらない。気の早い<スモーカー>が近くにあった酒屋で焼酎の一升瓶を購入。丸太町東大路を右折して東進。平安神宮と思われる(平安神宮です)長――い塀(築地塀:ついじべい)が続く。
「この北側の奥にあるはずだ」
「だけど北に折れる道がないな」
「お、あの神社(御辰稲荷神社)の横に路地があるぞ」
見過ごすところだった。オッサン5人の横隊では通れない感じの狭い路地だ。路地を北上すると泉徳寺と須賀神社の辻に出た。
「この須賀神社の北の辺りのはずだ」
泉徳寺の横の路地をトコトコ。「おーい、あったぞ!」先頭の<スモーカー>が叫ぶ。15時を過ぎていた。

(ブラウン運動接近方法でたどり着いた「京町屋聖護院」 グーグル・マップから)

 

 

 

 

 

 

 

(京町屋の風情がある「京町屋聖護院」本館の玄関 グーグル・アースから)

 

 

 

 

 

マンションの横の路地の奥に自転車十数台があり、ぶら提灯に「京町家聖護院」と書いてあるのが道路から見えた。路地に入り玄関ブザーを押す。応答なし。引き戸を引いてみると、あれ?戸が開いた。
「ごめんください」返事がない。「入っていいのかな?」
「電話してみろよ」チェックインは夕方頃になると予約時に返答したのでまだ来ないと思っているのだろう。
電話すると「もう到着されたのですか。どうぞ入って休んでいてください。すぐ参りますので」と返事があった。

疲れた足を引きずってオッサンたちが宿になだれ込む。部屋の探検開始。
「おお、いいな。広いし。古い造りかと思っていたがきれいだな」
「いいね。気にいった」
家の躯体の柱や床の間、縁側の軒、トイレに続く軒廊(こんろう)などから古い町家をうまく現代風にリフォームしたことが窺える。バスや洗面所、台所、1階の広い3室、2階の2室は清潔で明るく感じがいい。
ドラム式洗濯機、大型冷蔵庫、広いキッチン、大きい浴槽、大型テレビ、各部屋のエアコンと設備も文句なし。
特にオッサン全員がご機嫌になったのは、広いキッチンに続く3帖ほどの和室。掘りごたつ(もちろん今は布団がけなどなし)になっていて麻雀牌が置いてある。昔はたぶん土間だったキッチンの床をフローリングにして、この3畳間との動線を良くしたのだろう。
一人<スモーカー>が縁側に座りタバコを吸っている。室内は禁煙のためだ。

そうこうしているうちに聖護院のご主人がやって来た。
「すいません。予定を繰り上げて早めに来てしまいまして」
「いえいえ構いませんよ。ごゆっくりしてください」
感じのいいご主人だ。40代後半ぐらいか。チェックイン払いなので5人分3万8千円を支払う。「後で領収書をお持ちしますが、とりあえず宿のご説明をします」と話し始めた。
1棟貸し。食事は無し。宿の鍵は玄関にかけている。Wi-Fiも可能、冷蔵庫の清涼飲料水2L×5本はご自由にお飲みください、自炊も可能、近くの飲食店などの地図、等々の説明をしてくれた。「何かありましたら隣の家におりますのでご遠慮なく仰ってください」

それで遠慮なく聞いてみた。
「ちなみに何人まで泊まれるのですか?その場合の料金は?」
平日換算だと3万6千円/4人がベース。1人増すごとに2千円加算。10人ぐらいまでが適当らしい。
確かに10人ぐらいなら十分なスペースがある。10人で平日なら4万8千円。1人換算4800円。自炊もできて洗濯機もあるので、京都での長期プロジェクト用の宿泊先にはもってこいだ。京都旅行に来る外国人も長期滞在用の宿として最適と喜ぶだろう。ただ広いバスでもさすがに10人はきつい。近くに銭湯があるそうなのでそのへんはなんとかなるだろう。

  • 麻雀後、蕎麦処「河道屋 養老」へ

東西南北の風牌と「中」の字牌を伏せて置き、「中」牌を掴んだ者が抜けて、早速麻雀開始。「中」掴みはバスを沸かしゆっくり入ってから出て来て、麻雀席の後ろか焼酎をチビチビ飲みながら余計な評論をまき散らす。
麻雀に興じるオッサンたちもつまみをかじり、焼酎と飲料水を飲みながら、ポン、チー、ツモ、ロンと賑やかに興じる。
歩き疲れとゆったりバスと焼酎のおかげで「中」掴みは隣の8帖和室でテレビを見ながら寝てしまった。
半チャンが終わり、二抜けが出ていき和室で寝ている「中」掴みを起こす。そのまま二抜けもフロに行く。
寝ぼけ眼の「中」掴みが麻雀に参加。それを何回か繰り返しているうちに暗くなってきた。18時チョット過ぎだ。久々に歩き、解放された気分で麻雀を打ったので全員腹がグウグウ言い出した。
「メシに行こうか」「そうしよう」。宿に鍵をかけて備え付けのサンダルを履いてゾロゾロと食堂探しに出る。

宿から路地を北進する。十字路(吉田東通)に出ると「宿の地図ではもうちょっと北にいくと学生相手の食堂がいっぱいあったぞ」適当なオッサンが確信をもって言うので左折して皆ついていく。ところが本当は右折して南進するのが正解。なかなか適当な食堂がない。広い西に延びる通り(近衛通)に出たので左折して西進。今度はかなり広い南北を貫く道路(東大路通)に出た。道路の向こう側に京大医学部附属病院の広く大きい建物が見える。宿から大分離れてしまった感じなので、更に左折して道路(東大路通)を下る。ラーメン店などを発見したがすべて満員。とうとう附属病院の南端の十字路に来てしまった。宿を出発店として1辺約300m四方の区画の3辺を歩いてしまった。
「仕方がない。宿の方へ帰るか。そういえば宿のご主人、おいしいお好み焼き屋があると言っていたな」
「そこにしよう。もう腹減ったよ」
須賀神社のある方向に向かって東進。右側路肩「月と猫」というお好み焼き屋の置き看板を発見。
「ここだ。行こう」と路地の奥へ入る。ところが店に入ると予約いっぱいでダメと断られた。

辺りは既に暗く街灯や家々に明かりが点いている。「どうする」「あそこに路地がある。入ってみよう」
聖護院の西側から北に延びている路地。聖護院を東西に挟んで宿と反対側の西側の路地だ。

右側に聖護院の築地塀が続き、ちょっと行った辺りで由緒ある旧家跡なのか、左側に古びた竹塀が続く。塀の内側上方に植えられた木々が繁茂している。更に犬矢来(ワンちゃん用足しお断り等の細工らしい)がある京町屋があって、また竹塀があった。
「おい、蕎麦屋みたいだな」「河道屋とある」「どうする?高そうな感じだが入ってみるか?」「そうだな。値段を聞いて高かったらやめよう」聖護院門跡の西門のちょうど路地を挟んだ真向かいにあった。

(古風な店構えの蕎麦処「河道屋養老」 グーグル・アースから)

 

 

 

暖簾をくぐり、小づくりの庭園を両脇に奥の店先まで続く石畳みを進む。石畳みは小さなミステリーサークルを感じさせる蕎麦臼模様の断片がはめ込まれている。粋ですね。蕎麦処を入口から「うすうす(臼臼)」感じてくださいという計らいでしょうか?それとも考え過ぎでしょうか?

店のご主人に値段などを聞く。格式のある店の感じがしたが一見さんお断りではないようだ。そこで蕎麦懐石ではなく手ごろな養老鍋をお願いすることにして、上り框(かまち)で靴、サンダルを脱ぐ。小庭の見える座席に通されて鍋を待つことに。座席の端の床の間のようなところに、1.5m四方の重量感のある相当古い和箪笥があった。黒に近い臙脂色でしかも下段に車輪が付いている。昔の京都のこと、火事や事変で家を放棄せざるを得ない時、この箪笥に大事なものを詰め込んで引いて脱出したのだろうか。古都京都ならではの想像を掻き立てる一品だ。後で聞いた話では有名人もよく訪れる店らしい。

養老鍋が来て、ビールが来て、焼酎割が来て、ようやく空腹が満腹満足に変わり落ち着いた。
「ところで聖護院って、何のお寺?」赤い顔をしてくだけた姿勢で<中掴み>が尋ねた。
「修験道の寺だろう」
「シュゲンドウ?」
「山伏(やまぶし)だよ」
「それは「ひつまぶし」よりウマイのか?」かなり酔っているのか<中掴み>はゲラゲラ笑いだした。聞いていた他の3人もニヤニヤ。
「アホ。くだらん」

  • 老人と犬

蕎麦を堪能して店を出ようとすると、ご主人が「今度いらっしゃるときは蕎麦の河道屋とゆうてください」という。
オッサンらが「?」を頭の上に表示する。
「河道屋とゆうと和菓子屋に案内されますから」
その時は全員ピンとこなかった。後で気が付いたが和菓子の「蕎麦ぼうろ」といえば有名な河道屋、そこが総本家らしい。

多少千鳥足だが道には迷わず宿に到着。早速、麻雀開始。残っていたつまみと焼酎と飲料水を飲みながら、ポン、チー、ツモ、ロンとご機嫌に興じる。二抜けは麻雀席の後ろからいらぬ解説する。飽きたら隣の和室でTV鑑賞。オッサンたち、徹夜麻雀と張り切っていたが、若い時のように体力が付いていかない。深夜2時近くになると大あくびの連発で、誰かが「寝るか」と漏らすと、「そうしよう」と全会一致。1階和室の8帖と6帖の2部屋に各2名、1階洋室6帖に1名が好き勝手に入って行って、そのまま爆睡。

翌朝、目が覚めると既に他の4人は起きていた。
1人は自転車で銀閣寺見学に出かけていて、もう1人は散歩中。宿に残った1人はTVを見ている。もう一人は2人分の朝飯を買い出しに行く直前。「朝飯いるか?」と聞かれ、「いや、いらない。俺も自転車で朝の京都を散歩してくる。朝食は途中で食うよ」

歯を磨き、顔を洗い、十数台ある自転車に飛び乗り宿を出る。鴨川を目指す。昨日に続き晴天で、晩夏の暑さもなく、爽やか。
南下してすぐ西に向かう。須賀神社、聖護院御殿南門が左右にそして後ろに流れていく。東大路通の交差点を過ぎると、右側に京大医学部附属病院、同部図書館、同大・iPS細胞研究所の建物群が続いている。
鴨川に沿って南北に走る大道路、川端通に到着。左側にコンビニを発見。コーヒーとサンドイッチを買う。
川端通を横断し鴨川東岸の河川敷に下りる。そのまま北進してベンチを見つけ降車。ベンチに腰掛けコーヒーとサンドイッッチを頬張る。頭上の木々の緑が丁度いい具合の日除けになっている。涼しい。目の前の河川敷を、朝のランニングをする若者が行きかう。散歩する老人、家族連れ、若者も多い。自転車も結構通る。

南側から老夫人と娘らしき中年女性が黒いラブラドールを連れてやって来る。二人は何か和やかに話しながら目の前を通りそしてそのまま通り過ぎた。ちょっと遅れて茶色の毛並みのラブラドールを連れた老人が南側に見えた。
何か犬に話しかけている。「さあ行くよ。おい」と言いながらリードを引っ張る。少し肥満気味のラブラドールはいやいやながら老人に付いて来る。

太っちょラブラドールは筆者がサンドイッチを食べているのを見て立ち止まった。犬が見ている。距離的には4〜5mはある。老人も犬が食いしん坊の虫を出して立ち止まったことを悟って立ち止まる。そして筆者と目が合ってニガ笑い。筆者も思わずニガ笑い。

老人が犬を促す。「さあ行くよ。もうみんな先に行ってしまったよ」みんなとは先ほどの黒いラブラドール連れの2人の女性たちの事らしい。老人がリードを強くグイグイと引っ張った。すると犬はペタッと腹を地につけて伏臥してしまった。「やだネ」と抵抗している。老人が構わずリードを再度グイグイと引っ張った。そうすると今度はドテッと体を横に倒し横臥してしまった。「いやだと言ってるだろう」と完全反抗状態。他人の目の前で人間の子供のように駄々っ子ぶりを発揮する飼い犬を見られて、老人は筆者の方を見てまたもやニガ笑い。筆者も思わずニガ笑い。

「それじゃ、そこで寝ていなさい」と言うと、老人はリードを手離しスタスタと一人で歩き去った。犬は首を少し上げ、老人が歩み去るの見つめる。「下手な芝居は止めろ」とつぶやいているようだ。だが老人は振り返りもせず去っていく。犬はガバッと起き上がり伏臥姿勢になり老人の後ろ姿を見つめる。「オイ!本気か、俺を置いていくつもりか!」それでも老人は歩みを止めない。

駄々っ子犬は遂にガバッと立ち上がると「オーイ!ちょっと待ってくれ!」と言わんばかりに重めの体を強引にピョンピョンと跳ねながら老人の後を追っていった。

この微笑ましい光景を目にして筆者は京都らしいと思った。犬を躾けるのではなく家族のように接する飼い方に、自然とおおらかに歩調を合わせていく京都の気風のようなものを感じた。(他のオッサンたちの意見:愛犬家はみんなそうだよ。京都以外でも)

残念なのはあの犬の名前が不明な点が少し心残りだ。とりあえず「ゴン太」にしておこう。「ゴン太のお気楽な朝の散歩」だった。

(鴨川東岸南側から荒神橋を望む グーグル・アースから)

 

 

 

 

  • キラメキノトリ」でラーメン。四条河原町でさよなら

宿に帰ると3人がTVを見ながら和室でゴロゴロしていた。銀閣寺見学に行ったオッサンはまだ帰ってはいない。

「チェックアウトまで時間がある。麻雀をやろう」

半荘の南場ラスマイ近くになって<銀閣寺>がようやく帰ってきた。半荘を終えて帰り支度開始。布団をたたみ洋室に運び、散らかした各部屋のゴミを片付けて終了。「京町屋聖護院」のご主人に電話。チェックアウトの11時にはなっていないが「お世話になりました」と感じのいいご主人にお別れ言う。

天気は気持ちのいい秋晴れ。五人のオッサンたちはブラブラと歩きながら鴨川を目指す。筆者が朝、自転車で通った道だ。鴨川沿いの大道路 川端通に出る。そのまま南下すると右側に丸太町大橋に出会う。橋を渡る。空気は爽やかだが直射の陽ざしは暑い。「ラーメン屋はまだか?」「もうちょっと先。河原町丸太町の交差点の北側だ」

宿を出る前に、<スモーカー>が、電池がヘタり気味のスマホに何度も大声で話しかけて近くの「ラーメン店」を検索すると「キラメキノトリ」がヒット。そこを目指している。全員ロクな朝飯をとっていないので空腹でグウグウ。

(鶏ラーメンが美味いと評判の「キラメキノトリ」 グーグル・アースから)

 

 

 

 

 

11時前に「キラメキノトリ」に到着。支度中ということで店舗前をウロウロ。11時ジャスト開店、店に入る。食券機で鶏白湯ラーメンと卵かけごはんを選ぶ。ちょうど千円。店名からも鶏を選ぶのが礼儀だし、「卵」を同時に選ぶことで親(鶏)と子(卵)との絆にも敬意を払う。オッサンのこだわりである。
「どうでもいいから早く食券を買え」こだわりを持たない後ろの<スモーカー>がイライラとせっつく。

理念も持たずに食事のメニューを選ぶ原始人は嫌いだ。

卵かけごはんを平らげ、ラーメン汁の白湯まで飲み干した。満足。
店を出る。「そろそろ帰るか」
店のすぐそばにある停留所からバスで四条河原町へ。2人はそのまま降車せず京都駅へ。「また今度」
3人が四条河原町で降りる。「俺は寺町商店街で土産を買っていくよ」「俺も高島屋で土産を買うつもりだ」

ここでマグニフィセント・ファイブの旅は終わり。

そしてマグニフィセント・ワンの旅が始まる。

  • 俵屋吉富で羊羹を買い、八坂神社から南進しJR京都駅へ

筆者は2人と別れ、八坂神社に向かう。途中で俵屋吉富に入り、定番の羊羹「雲龍」と創作羊羹「水灯り」の各半棹セットを土産に購入。お茶と一緒にいただく絶品羊羹だ。

外国人観光客でごった返す狭い道路を泳いで八坂神社にたどり着く。神社境内にも華やかな浴衣姿の外国人女性がそこここに。屋台の小さな可愛らしいアクセサリーを物色したり写真を撮りあったりしている。

南楼門の石鳥居をくぐり八坂神社を出て南進。直進するにつれ道がどんどん狭くなって行く。相変わらず外国人観光客だらけ。道を突き当るとT字路に朱塗りの門と出会う。八坂庚申堂。人間の欲望を猿に例えその猿の四肢をくくりつけコントロールした姿、「くくり猿」が有名らしい。その欲望猿を封じる庚申さんを祀っているとのこと。なにやら孫悟空の頭の輪っか、「緊箍児」(きんこじ)を連想させる。

朱門の右手前に「夢見坂」の道標がある。左に目をやると、そう、あの有名な京都を代表する人気スポットの1つ、「八坂の塔」が屹立している。インスタ映えするので大勢が「八坂の塔」をバックに写真を取り合っている。

(八坂の塔を背景に写真を撮ってもらっている浴衣姿の外国人女性)

 

 

 

 

 

 

坂を上り八坂の塔を見上げた後、右折れして南進を続ける。右折れ、左折れ、左折れして路地裏を南進する。さすがに人通りがなくなる。
更に進むとまた車と観光客で賑わう五条坂に出る。行きかうバスやタクシーに注意しながら右折れして五条坂を下る。下った先は東大路通とぶつかった五条坂の登り口になる。そこを左折れすると大谷本廟の狭い側道坂が続いている。

大谷本廟は通称「西大谷さん」と呼ばれ親鸞聖人の墓所。筆者の親も祖父母もここに納骨されていて、ここ十数年お参りに来てなかった。いい機会だと考えお参りしようと思った。ついでに来たのか!とご先祖に一喝されそうだが御免なさい。いろいろ事情があり来たくても来れないんです。側道の坂を上る。人通りはほとんどなし。お彼岸の時と大違いで閑散としている。山口花店が見えてきた。昔のままの店構えにタイム・スリップをした錯覚を覚える。店に入ってロウソクとお線香を買う。側道を挟んだ向かいには西大谷さんの明著堂の門がある。親鸞聖人の墓所(祖壇)前の拝堂が明著堂である。門を通り明著堂にロウソクとお線香をお供えしお参りする。筆者は浄土真宗の信徒ではないが、京にいれば京に従えである。

お参りを終えて、明著堂を離れ、仏殿と読経所の通路トンネルを通て総門へ向かおうとすると石窟を発見。
小さい時から何回も訪れているのだが初めて存在に気づいた。

(明著堂から石窟を望む)

 

 

 

 

石窟前に説明パネルがある。親鸞聖人がここで修業されていたようだ。裏付けとなる歴史的資料のことも書いてある。石窟はどう見ても自然にできた洞窟ではない。畳み3枚位を縦長に並べたような奥行きがある。

筆者は自分ならどうここで過ごすか想像をしてみた。床の石畳みは体温を急速に奪うので板かダンボールを敷く。その上に断熱用のサバイバルシート(アルミ製ブランケット)を敷く。スマホがあれば退屈はしのげるが、たぶん電波が入ってこないハズだからケーブル(4〜5m位)付き携帯用外部アンテナもいる。食料・水もかなりストックできそうだ。トイレはさすがに外でしないと臭いで死んでしまうだろう。あとは寝袋を敷いてゴロッと横になるだけ。石窟内の味気ない壁や天井には、スカーレット・ヨハンソンの(イーデス・ハンソンとちゃいまんねんと明石家さんま風のボケをかましたりしながら)映画「ゴースト・イン・ザ・シェル」のセクシーな特大ポスターを貼る。これぞ素敵な「石窟(セックツ)ライフ」。・・罰が当たるかな。

西大谷さんの総門をくぐり、石階段を下り、東大路通の車道まで続く参道の石畳を通る。人通りは少ない。白髪の外人さんが2人の女性に話しかけている。道でも聞いているのだろうか。その先では浴衣を着た外国人の男女が、晧月池(こうげついけ)に架かる石造りの円通橋(えんつうきょう)で写真を撮り合っている。

参道を出た右側は先ほどの五条坂の上り口。その上り口にあるのが小さなうどん屋「十六代 権太夫」。昔は「喜楽」という店名だった。親に連れられて西大谷さんのお参りの帰りにいつもここで食事したことを思い出す。暑い時期はここの「冷やしうどん」は最高だ。だが先ほど「キラメキノトリ」でラーメンを食べたばかリ。残念だが今回はパス。次回にしよう。

 そのまま真っ直ぐ五条大橋に向かい、JR京都駅を目指した。

1泊2日の秋晴れの京都散策は楽しく終えることができた。

マグニフィセント・ワンの旅もここらで終了としよう。