ウクライナ危機PARTⅣ 殺戮者プーチンを生んだ国。 キエフ大公国→ロシア帝国→モスクワ・クレムリン→スターリン

  • キエフ大公国→ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどの大本となった国。祖先が同じ兄弟国と言われる所以

諸説あるが、9世紀末、黒海北西部のスラブ人が争いを続けていた。無益な争いに気づいた彼らはヴァリャーギ(ヴァイキング/ノルマン人スカンジナビア人)に頼み込んで、自分たちをまとめる指導者を求めた。
そこでやってきたのが、ルーシ族(Rus)のリューリクが率いる一団。
ラドガとノヴゴロド(現在のバルト3国付近)を治めたリューリクの死後、後継者オレーグとリューリクの子(と言われている)イーゴリが南のキエフに都を移した。これがキエフ大公国(英:キエフ・ルーシ)である。

(「Castle Siege 今は無き名作ゲーム」から転用)

但し、ロシアがルーシの正統な後継とする学派は「キエフ・ロシア」と呼び、ウクライナこそ正統とする学派は「ウクライナ=ルーシ」と呼ぶらしい。(WIKI)

ギリシャ語やラテン語では地名の語尾に「ia」をつけることがある。(アジアAsia、ルーマニアRumaniaなど)
ギリシャ語やラテン語を公用語としていた東ローマ帝国(ビザンツ帝国)では、北方の交易相手であるスラブ諸国をRusia(ルシア)と呼んだ。

12世紀頃から内紛で衰退がはじまりいくつかの小国に分裂し始めた。更なる内乱などでキエフ一帯は荒廃し、人々はキエフを見限り北のノヴゴロドや北東のモスクワに移っていった。13世紀中頃、モンゴル帝国の侵攻によりキエフ大公国は崩壊した。

● ロシア帝国の勃興と繁栄、そして終焉 ヒストリーCH「古代帝国の先端技術 ロシア」から

モスクワ方面ではウラジミール・スズダリ公国が細々と存在していた。
1276年頃、中世ロシアの英雄でウラジミール大公国の大公となったアレクサンドル・ネフスキー(アレクサンドル一世)。その末子ダニールがモスクワ公となり、その公都をモスクワにしてから発展がはじまった。14世紀前半、イワン一世治世下になると、ウラジミールよりモスクワが政治・宗教の中心となっていった。

15世紀、イワン三世(モスクワ大公)がモンゴルのタタール人の支配を駆逐した。モスクワを再建し「第三のローマ」と称し、ロシア帝国の礎を築いた。

その後、孫の残虐なイワン(四世)雷帝が帝国をヨーロッパ最大の領土に拡張した。

17世紀末、2m超の体躯と鷹揚な性格のピョートル(一世)大帝が出て、ヨーロッパの技術や知識を積極的に取り入れ、軍事国家を築き上げた。1721年ロシア皇帝(インペラトール)を名乗った。

サンクトペテルブルグ建設には、沼地を手で掘り返すという過酷な労働で約2万5千人の国民の犠牲が払われた。そのためサンクトペテルブルグは「骨の街」とあだ名された。そしてピョートルは突然サンクトペテルブルグを首都にすると宣言した。300年近く続いた首都モスクワがただの1都市となった。国民が困惑しても皇帝には逆らえない。絶対的な存在であるからだ。領土は更に東アジアにまで拡大した。

ピョートル大帝亡き後、大帝の孫と結婚したドイツ人女性が夫を失脚させ、女帝エカテリーナ2世が誕生、帝国の実権を手中にした。意志が強く野心的なエカテリーナは、ピョートル大帝の遺志を継ぎ、帝国の近代化を完成させた。領土は更に拡大した。莫大な財源を使い、病院、福祉施設、学校を整備した。都市の建設を加速させ、サンクトペテルブルグを輝くロシア帝国の首都にふさわしいものにした。

超大国となったロシアを狙って、19世紀初、ナポレオンが50万人超の大軍を率いて侵攻してきた。エカテリーナの孫、皇帝アレクサンドル一世は、600年前のモンゴル来襲の危機の時にとった行動に倣い、勝算がない時は逃げるが勝ちと判断した。そこでモスクワに至るナポレオンの進軍ルートの全てを焼き払う焦土作戦を実施した。モスクワを占領されてもアレクサンドルは和平に動かず、ナポレオン軍を無視した。アレクサンドルが和平に折れてくるだろうと予想していたナポレオンの企図は外れた。仕方なく帰途についたナポレオン軍に、過酷な冬将軍が襲い掛かり、帰国できたのはナポレオン遠征軍の一割にも満たなかった。こうしてロシアの敵はいなくなった。

19世紀末、ロシアの領土は、西はバルト海から東はアラスカに至るまで、全長9千6百Kmに及んだ。世界の全陸地の6分の1を占める大帝国になっていた。

ニコライ二世は広大な帝国を管理しきれずに崩壊するかもしれないと懸念し、また極東地域への政治的経済的影響の強化を兼ねて、19世紀末、世界最長となる9228kmのシベリア鉄道の本格的建設に着手した。アメリカ横断を2度行うのに等しい距離である。1904年、主要路線ができたロシアは、アジア地域への勢力拡大を図って東アジアへ進出した。当然同じく中国大陸への進出を始めた日本と衝突することになった。日ロ戦争である。
日ロ戦争で日本に敗北したロシアでは、虐げられていた国民の反感が皇帝に向けられた。1914年、国民の目を逸らそうと第一次世界大戦に参戦した。これにより国民の生活を更に過酷疲弊させ、多くの犠牲を出した。国民の命を犠牲にしながら帝国を拡大してきた皇帝に対し民衆の怒りは沸点に近付いていた。
1917年3月15日、民衆の反乱でニコライ二世は追放された。200年続いた帝政ロシアの終焉である。

そしてスターリン、プーチンという怪物を生むモスクワ・クレムリンの時代になる。

  • ヒトラーを超えるクレムリンの怪物スターリン ヒストリーCH「ヨシフ・スターリン」から

スターリンはレーニンと共にボリシェヴィキ(レーニン主導の左派)を率いてロシア革命を先導し、プロレタリアート独裁(労働者階級による政治支配)を標榜して帝政ロシアを倒し、権力を掌握した。
1924年1月レーニン無き後、その後釜に座ったスターリンは、ワンマン独裁を確固たるものにするために、政敵、官僚、逆らう国民を容赦なく粛清した。スターリンは国家目的(農業・工業の中央集権化)を達成するためには、どのような非道なことをしてもよいと、レーニンの主張を独裁確立のために都合の良い方向に解釈した。反対する者、命令に抵抗する者、さらには反対か抵抗か判別できない者まで、スターリンの一存で秘密警察に始末させた。脅しと恐怖で国民を支配した。
ロシア史上の戦死者を全部合わせても、スターリンが虐殺した人の数には及ばない。
国民のためにと標榜しながら、国を支配し、同時に容赦なく国民へ非道な行為を続けた。
彼はその語録で「一人の死は悲劇だが、数百万人の死は統計だ」と嘯いた。これは彼の大量虐殺への強い無感覚性を示している。

 警察権力を国民支配のために行使・活用

 米初の女性国務長官となったオルブライト元長官は語った。「国民を恐怖で支配するためにスターリンは秘密警察(NKVD:エヌカーヴェーデー、のちのKGB)を創設した」。暴力装置である警察権力を行使して、国民を支配するため恐怖で脅したのだ。

理由を示さず逮捕・処刑。脅しでじわじわと人を支配し、自分の言いなりにする

スターリンはボリシェヴィキの頃から猜疑心が強く用心深い男と呼ばれていた。彼の世界観は「人は誰でも怯えて生きる」だった。だから人を怯えさせるようにすれば、人を支配し言いなりにできると考えていた。
スターリンはロシア国内の独裁体制を固めると、世界制覇のために国を急速に軍事国家に替えようとした。反対する者、抵抗する者が出てきたため、恐怖と脅しで人々を従わせようとした。

ジョンソン大統領の顧問、そしてカーター政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めた政治学者、ズビグネフ・ブレジンスキー氏は、スターリンの恐怖支配の手口を次のように語った。
モスクワから各地の秘密警察に電報で指示が送られた。
「君の町のノルマは7500人を逮捕すること。そのうちの3000人を処刑すること」誰を何の容疑で逮捕、処刑するのかは一切しめされていない。
粛清は次第にエスカレートし、国籍の壁がなくなり、ポーランド人、ドイツ人、ブルガリア人、マケドニア人、・・と増えていった。機密解除された文書の推計から、スターリンが粛清した人の数は約4000万人にも上ると言われている

作家のジョナサン・ブレント博士はスターリンの人心操縦方法を次のように説明している。
スターリンは脅しのプロ。少しずつ長い時間をかけて、自分の言うことをほぼ何でも聞いて動く、忠実で従順な側近に作り上げていく

都合のいい解釈で法を無視し好き勝手を行う。コントロール下のメディアを使い、信頼できる指導者のイメージを国民に植え付けた

スターリンは、レーニンの考え方を都合のいいように解釈して引き継いだ。レーニンは指導者が先導するプロレタリアート独裁を主張した。それをスターリンは国家目的・5カ年計画(農業・工業の中央集権化、急速な工業化)を達成するためには、何をしても許されると都合のいい解釈に変容させた。クラーク(富農)から農地や財産を没収し、処刑するかシベリア送りにした。貧しい農民からは、強制的に穀物を拠出させ集団農場(ソフホーズ等)に送り込んだ。スターリンはクラークは根絶してもよいと判断して、クラークかどうかの判断はスターリンの一存で決めた。1930年代に大飢饉が発生、集団農場では餓死者があふれ人肉喰いも起きた。餓死者は何百万人にもなったが確かな数は不明だ。しかしスターリンは食料を都市部に集め人為的に大飢饉を作り出した。

狡猾なスターリンは、非道な粛清の一方で、コントロールされたメディアを活用して、自己のイメージを「国民のために働く力強い指導者」と映るように誘導し国民を洗脳した。

公文書改ざん、桜を見る会など明らかな犯罪を見逃すようになった検察。コロナ死者の増加、検査数の意図的な縮小など明らかなコロナ対策の失敗を咎めず無能な首長らを露出続けるTV。救急医療いまだ崩壊中なのに出口が見えてきたと嘯く最高責任者とそれをヨイショするマスゴミ。
そういう腐敗した土壌を放置し続ける世界から、スターリンやプーチンといった怪物が発生してくる。
怪物の犠牲になるのはいつも庶民であることは歴史が繰り返し警告している。

DYSON SPHERE PROGRAM 果てしなき惑星開発と自動生産化の果てに

  • ゲームの概要

あなたはまず各惑星の資源を採掘しなければならない。
鉄鉱石、有機結晶、シリコン鉱石・・・など。

さらにそれらを製錬、加工して、ダイソン球を形成するための部品、機器、製品などを大量に自動生産する必要がある。
歯車、電磁モーター、プロセッサー、重力子レンズ・・・など。

莫大なエネルギー、電力も用意しなければならない。
風力タービン、ソーラーセイル、重水素燃料棒・・・など。

資源や部品・材料を製錬所や組立機に移送し、あるいは惑星間で足りない資源・部品等を搬送しあう物流システムも構築しないといけない。
コンベアベルト、物流ドローン、惑星間搬送船、惑星間物流ステーション・・・など。

さらに大事なのは、科学技術の研究開発だ。それにはScience Matrix(科学マトリックス)を大量に生産するシステムを確立することだ。
電磁マトリックス、情報マトリックス、宇宙マトリックス・・・など。

そうした惑星開拓の絶え間ない努力と成果の果てに、ダイソンスォーム(筆者はダイソンリングと呼ぶ)やダイソンシェルの基となる建造物の打ち上げが可能となる。
ソーラーセイル、電磁レール発射機、垂直発射さいろ・・・など。

  • 基本の操作ガイド

産業用メカ、イカロスを操作し惑星開拓を行う。操作は簡単、マウスの左右クリック、「SPACE」キー(浮上)、
「W」(前進)、「A」(左旋回)、「D」(右旋回)などでOK。

動画1. 最初の惑星での開拓スタート

動画2. ダイソンリング見学ツアー(日没、夜明け、宇宙空間、ソーラーセイル連続発射など)

 

イベルメクチン使用記 驚きの効き目!

2022年2月下旬。
妻のリンダ(仮称)がコロナ症状を発したため、インドから輸入購入していたイベルメクチンを服用。
驚きの効果があったので、その全記録を公表することにした。
仮称以外は全て事実。イベルメクチンの服用については、自己責任で判断・決断してください。

  • 予兆 初日

朝起きてキッチンで食事をしていたら、リンダがこめかみをもみながら言った。
「ジョニー(仮称)」私のことだ。「ん?」
「降圧剤もらえる?」

リンダには持病の高血圧があったが、コロナ禍が始まってから病院通いをやめてしまった。丁度2年ほどになる。コロナ感染を恐れて外出も極端にしなくなった。

「ああ、あるけど?どうした?」
「朝起きたらちょっとフラフラするの。鼻水も出るし」
「風邪か?」
「熱はないの」
「じゃ寒さによる高血圧の影響かも知れんな。薬は余っているから使え」そう言ってカンデサルタン錠2mgの束をリンダに手渡した。

ここ数日、台風並みの爆弾低気圧が北海道方面に発生しては通過していて、大陸北部からの異常な寒気が日本全体を覆い、各地で大雪による被害が出ていた。
私も高血圧の持病があるが、春・夏と体調がいいときは降圧剤の服用を止め、災害時の備えとして余った薬を備蓄していた。

服用して数日はフラフラがなくなったのか、降圧剤が効いているのか、リンダはいつも通りの家事をこなしていた。

  • コロナ発症? 1日目

リンダ、夜横になるとめまいがしたと話す。鼻水もあり。後頭部と首の境がもやもやしてスッキリしないという。熱は平熱。

  • コロナ発症? 2日目

リンダにフラツキも出てきた。熱は平熱だが、鼻水と喉の痛みあり。後頭部・首のもやもやもそのまま。メニエール病か、コロナか?と疑ったりしたが、素人判断せず、医者に行ってみたら?と助言した。
リンダは病院へ行くことに抵抗が強い。コロナ陽性とわかっても、カロナール(解熱剤)ぐらいが出されて自宅放置されるだけだと反論。しばらく様子を見ることになった。

いつもは家事を終えて夜9時過ぎに入浴して床につくのだが、今日は具合が悪いので夜7時に食事を終えると直ぐに寝てしまった。

<コロナ禍の惨状。無策のコロナ対策、改ざん・誤魔化しの陽性者数>

2月上旬に第6波のピークは過ぎたと楽観見通しを国とマスゴミは垂れ流すが、2月9日時点で自宅放置者54万人超、東京などの陽性率40%超、死者も100人超が続いている数字をみると、とてもピークは過ぎたとは思えない。岸田内閣は何がなんでも3月6日にまん延防止を解除したいというムリムリの雰囲気を作りに走っているとしか見えない。

ある県の数字をみても、異常な陽性率60%前後が1カ月近くも続いている。通常陽性率は4%ぐらいである。

厚労省から1/27頃に検査数を抑えるような通達があったと日刊ゲンダイ(2022.2.20)がスッパ抜いているが、2月初めころから陽性者数が減り始め、陽性率は高止まり。見事な恣意的減少グラフになっている。

検査数を恣意的に抑制すれば、感染者数が減るのは当然である。しかしその結果、実際に隔離すべき陽性者が多数野放しとなり、感染が拡大することになる。岸田政権のコロナ対策がうまくいっている、というメンツのために、自宅放置者や死者の増加が代償となることをいつまで許すのか。

  • コロナ発症? 3日目。とうとう発熱。イベルメクチン服用

病院へは行かず。リンダ、症状治まらず。フラツキ、鼻水・喉の痛み・後頭部・首のモヤモヤ続く。ダルさも出てきた。熱は平熱。普段は9時過ぎまで家事をしていたが、今夜は食事後、夜7時過ぎに就寝。

夜中、0時過ぎ。夜7時過ぎに床についていたリンダが熱くて眠れないといって起きてきた。
体温37.7度
リンダの平熱は36.0度前後だから高熱である。顔も赤い。額にヒエピタを貼っている。

「どうした?」
「熱があるの。体がダルい」
「いよいよコロナかもしれんな。みなし陽性だ。どうする?救急車呼ぶか?それとも朝まで待って病院いくか?」
「救急車もどうせ来ないかもしれないし、病院も見つからずタライ回しになるかも」
「子供の車で病院に行くことはできるぞ」
「保健所を通さないと。今は簡単に入院もできないわよ」

「じゃ、アビガンかイベルメクチン飲むか?」
「うん」

<インドから購入したファビピラビルとイベルメクチン>

我が家は去年からインドからファビピラビル(ジェネリック・アビガン)とイベルメクチンを購入していた。信用できない国や専門家などあてにせず、自分の身は自分で守ると決めたからだ。

(ファビピラビル(ジェネリック・アビガン)、200mg錠×40錠、3箱)

(イベルメクチン、12mg錠×50錠)

どちらの薬も効くと情報的にはわかっていたが、いざ使うとなると大丈夫かな?と不安がよぎる。30年以上の使用実績や重い副作用もないことも頭ではわかっているのだが。

「アビガンは初日2回で、1回1800mg。つまり9錠飲む」
「9錠も飲むの!1回で!」リンダが苦虫顔に。
「イベルメクチンは、FLCCCの「I-MASK+」の用法だが、リンダの体重は50kgと前に言っていたから、0.5mg/kg×50kg=25mg。1錠12mgだから、ちょうど2錠だ。1日1回服用」

(FLCCCの「I-MASK+」)

「イベルメクチンにする。食後、食前?」服用・副作用の懸念はないようだ。
「どちらでもいいようだ。いま症状がでているから、今飲んだ方がいい。朝食を待って飲むのはいいとは思えない」

(イベルメクチン 12mg×2錠)

<驚きのイベルメクチン効果!3時間後に平熱に>

リンダがイベルメクチン2錠(12mg×2)を服用した。気晴らしのため、しばらくコタツに入ってリンダに付き添って談笑していたが、「先に寝る」と言って、コタツのリンダを置いて就寝。

<リンダの症状書きとめメモから抜粋>
・夜中3:30 (体温)36.7度。
・朝 7:30 (体温)36.3度。
・午後1:45 (体温)35.7度。

  • イベルメクチン服用翌朝 1日目。夕方、不調

「イベルメクチン、すごい効き目!」。朝、笑顔のリンダが元気な声で話しかけてきた。昨晩の高熱で辛い顔のリンダと別人のようだ。
「薬を飲んですぐ熱が下がったの。すごいわ!」
「ダルさとか、他の症状は?」
「くしゃみや鼻水はまだ出るけど、他は大丈夫。体温も36.3度で普通に戻った」
「首のうしろのモヤモヤは?」無いわとの答え。

朝から調子よく日常の家事をこなしていたリンダだが、夕方になってまた少し具合が悪くなったと言い出した。ダルそうな様子。
体温を測ると37.8度!
しかも下痢便が2回続いた。ひどい下痢便ではなかったが、「下痢」はイベルメクチンの消化器症状の副作用の1つである。少し心配だが他に重い副作用はない模様。
夕食後、イベルメクチン2錠を服用。布団を敷いて8時前に早々と就寝。

  • イベルメクチン服用翌朝 2日目。回復

朝、元気そうなリンダに戻っていた。体温36.2度。鼻水が少し出るぐらいで他の症状はほぼない模様。
昼、体温36.3度。
夕、体温36.1度。夕食後、3回目のイベルメクチン2錠を服用。3日ぶりに入浴。但し洗髪だけ。
夜9時過ぎまで家事をこなし、就寝。どうやら普段の日常に戻った感じ。心配だった副作用も特になし。

  • イベルメクチン服用翌朝 3日目。回復。

朝、元気そうなリンダ。体温35.7度。鼻水が少し出るぐらいで他の症状はほぼない模様。
昼、夕、平熱で普段通りに活動。夕食後、4回目のイベルメクチン2錠を服用。夜9時過ぎまで家事をこなし、入浴後就寝。

  • イベルメクチン服用翌朝 4日目。回復

朝、普段どおりの元気そうなリンダ。体温35.9度。鼻水が少し出るぐらいで他の症状はほぼない模様。
「ほぼ治った感じかな?」
「そんな感じ。でも目のチカチカが少し残っている」
「えっ!そんな症状があるのか?いつから?」
「だいぶ前から。イベルメクチンを飲む前から少しあったの。起きてしばらくしたら治るんだけど、今朝は元に戻るのが遅い感じ」
「イベルメクチンの説明書には、そんな目の副作用は該当がないけど、戻りが遅いのは気になるな」
「前からの症状なので、薬で発症したことはないけど何らかの関係で影響しているのかも」
「FLCCCの「I-MASK+」の用法では、5日間服用か回復するまでとなっているけど、もう止めるか?」
「ええ、そうする。ほとんど鼻水だけだから」

2022年1月31日、興和㈱がイベルメクチンの「オミクロン」への効果を確認

興和㈱と北里大学との共同研究の結果、第Ⅲ相臨床試験の成果も踏まえて、「コロナの変異株α、β、γ、Δ(デルタ)、そしてο(オミクロン)株に対する抗ウィルス効果があることを確認した」とするプレス記事(2022.1.31)を発表した。

だがマスゴミTVでは殆どスルーした。代わりにイベルメクチンを葬り去りたいかのようにTV画面に流れたのが、塩野義のコロナ経口薬「S-217622」の早期承認申請が近いという、第Ⅱ相臨床試験も終了していない新薬の紹介だった。

安くて、30年近くの安全性、有効性の実績があり、重い副作用もないイベルメクチンは、ある人たちにとって余程隠しておきたい薬なのだろう。

しかも今のワクチンは変異したオミクロン株のスパイク・タンパクに最適化したワクチンではない。イベルメクチンは感染した細胞内でのコロナ増殖を阻害する効果があるので、細胞に侵入するためのスパイク・タンパクが変異しても関係がない。

イベルメクチンの抗ウィルス作用機序

抗寄生虫薬として30年以上の実績があるイベルメクチン。抗寄生虫薬として有名なため、そんなものがコロナに効くハズがないという固定観念が強い。だがアフリカなどワクチンが行き届かない国々で、なぜかコロナ感染が収束したりする現象が起きて、もしかして抗寄生虫薬イベルメクチンを服用しているのが関係しているのではないか、と世界各地で気づき始めた。

コロナ・ワクチンや新コロナ治療薬を多額の資金を投下して開発しているメガ・ファーマーにとっては、1錠100円ぐらいの経口薬に驚くようなコロナ治療効果があっては悪夢だろう。

<イベルメクチンの広範な作用>

イベルメクチンには、抗寄生虫作用、抗菌作用、抗ガン作用、抗ウィルス作用があるとされる。
そのうちの「抗ウィルス作用」が、今回のコロナ・ウィルスの感染と増殖の阻害に有効に作用しているとされる。

下図Aにあるように、イベルメクチンの抗ウィルス作用機序を分かりやすくすると、3つ。

  • コロナ・ウィルスの細胞内への侵入阻害(ファイザーなどのワクチン作用と似ている)
  • 細胞内でのコロナRNAの合成を阻害(アビガンの作用機序と同じ)
  • インポーチン(コロナ増殖用部品の運び屋)の阻害(アマゾンがあっても佐川やクロネコが無ければ成り立たないのと同じ)

注:「in vitro」=「試験管内で」。 「in silico」=「コンピューター解析で」。

(以下、北里研究所のイベルメクチン研究報告資料 2021.10.26

(図A)